暑い夏の朝
2013-08-10
いやはや昨日あたりから本格的に暑いですね。
外はまるでサウナみたいで息が苦し〜
蝉はミンミン。
今日はヨガクラスも夏休みなので朝はのんびり寝坊をして、
朝ごはんを母とゆっくりいただきました。

母は、近い過去の記憶がどんどこ消えてしまっていますが、
今朝はとても饒舌で娘時代の話をたくさんしてくれました。
母の母が広島のひとなので毎年夏は広島に行って海水浴をしたこと、
女学校から女子大に行って勉強した頃のこと、
出版社に勤めていろいろな活動に首を突っ込んだこと…
たまに私が間の手のように質問をすると、それに応えてまた話が広がります。
最近、こんな風にゆっくり母の話を聴くことがなかったなぁと思いながら。
母の実家は神保町で本屋さんをしていてその当時は田舎から来るひとをたくさん預かっていたようで、
母は長女で、いろいろやってあげる、よりも、やってもらう人、だったよう。
だから、
「いわゆる、わがままに育ったのかしらね …」と母。
「ふふん、わがままに育ったんだ?」(そうだろうそうだろう)とわたし。
「… たぶん … 」(笑)
ということらしい。
「いろんなことやって来たけど、ぜーんぶ忘れちゃったわ」という。
励ますつもりでもないけれど、
「忘れちゃってもいろいろやったんだし、今、楽しそうだからいいじゃない?」
と言ったら、
「 へんちょこりんな人になってる 」
と言う。
へんちょこりん、は今に始まったことじゃないのになと内心苦笑しながら思いましたが、
私と母の関係は、よくある仲良し母娘というわけではありません。
子どもの頃から、私の方からはいろいろと事情があって充たされない不満がありました。
私は働くようになって、いったん家を出て一人暮らしをしているし、
数年前、大人になった娘が家に戻った時には同性である母との生活のバランスを取るのに苦労しました。
それでも今こうして母と暮らしながら、ぶつかったり仲良くなったりを繰り返し、
だんだんとそれなりのバランスが出来て、お互いに今が一番良い時かなと思ったりします。
知らず知らず身に付いてる言葉や料理や人への配慮は、
この母と父の家庭で育った基礎があって、
そこに後から周囲の人や物事から学んだことで出来ています。
昨夜テレビで食に関する番組をちらっと観たのですが、
TOKIOの国分くんが自分のお母さんが作った料理はおいしいと、
疑うこともなく照れることもなく、はっきりと言っていました。
「料理人よりはうまいはずない」(もちろん愛ある言い方ですが)という他の出演者にも、
家に来て食べてみてよ、と最後まで言っていました(笑)。
料理ってそういうものだし、そのひとにとってどうか、それでも充分。
そして母が今朝言ったことばを借りると、
「作った人の考えが食べた時にわかる」
それが、仲良しの友達がいつも言っている「最後の味付けは、愛情」なんだろうと思います。
愛情がない人なんて本当はひとりもいないから、
心配しなくても最後はちゃーんとうまくできているんだろうな。
外はまるでサウナみたいで息が苦し〜
蝉はミンミン。
今日はヨガクラスも夏休みなので朝はのんびり寝坊をして、
朝ごはんを母とゆっくりいただきました。

母は、近い過去の記憶がどんどこ消えてしまっていますが、
今朝はとても饒舌で娘時代の話をたくさんしてくれました。
母の母が広島のひとなので毎年夏は広島に行って海水浴をしたこと、
女学校から女子大に行って勉強した頃のこと、
出版社に勤めていろいろな活動に首を突っ込んだこと…
たまに私が間の手のように質問をすると、それに応えてまた話が広がります。
最近、こんな風にゆっくり母の話を聴くことがなかったなぁと思いながら。
母の実家は神保町で本屋さんをしていてその当時は田舎から来るひとをたくさん預かっていたようで、
母は長女で、いろいろやってあげる、よりも、やってもらう人、だったよう。
だから、
「いわゆる、わがままに育ったのかしらね …」と母。
「ふふん、わがままに育ったんだ?」(そうだろうそうだろう)とわたし。
「… たぶん … 」(笑)
ということらしい。
「いろんなことやって来たけど、ぜーんぶ忘れちゃったわ」という。
励ますつもりでもないけれど、
「忘れちゃってもいろいろやったんだし、今、楽しそうだからいいじゃない?」
と言ったら、
「 へんちょこりんな人になってる 」
と言う。
へんちょこりん、は今に始まったことじゃないのになと内心苦笑しながら思いましたが、
私と母の関係は、よくある仲良し母娘というわけではありません。
子どもの頃から、私の方からはいろいろと事情があって充たされない不満がありました。
私は働くようになって、いったん家を出て一人暮らしをしているし、
数年前、大人になった娘が家に戻った時には同性である母との生活のバランスを取るのに苦労しました。
それでも今こうして母と暮らしながら、ぶつかったり仲良くなったりを繰り返し、
だんだんとそれなりのバランスが出来て、お互いに今が一番良い時かなと思ったりします。
知らず知らず身に付いてる言葉や料理や人への配慮は、
この母と父の家庭で育った基礎があって、
そこに後から周囲の人や物事から学んだことで出来ています。
昨夜テレビで食に関する番組をちらっと観たのですが、
TOKIOの国分くんが自分のお母さんが作った料理はおいしいと、
疑うこともなく照れることもなく、はっきりと言っていました。
「料理人よりはうまいはずない」(もちろん愛ある言い方ですが)という他の出演者にも、
家に来て食べてみてよ、と最後まで言っていました(笑)。
料理ってそういうものだし、そのひとにとってどうか、それでも充分。
そして母が今朝言ったことばを借りると、
「作った人の考えが食べた時にわかる」
それが、仲良しの友達がいつも言っている「最後の味付けは、愛情」なんだろうと思います。
愛情がない人なんて本当はひとりもいないから、
心配しなくても最後はちゃーんとうまくできているんだろうな。
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